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「潜在する感覚」  ホルベインスカラシップ奨学生 レポートより --------------------------------------------------------------

昨年、ある記事に目が留まった。ロシアの研究チームがシベリアのツンドラから発見された 3万年前の植物の種子を発芽させることに成功したというものだった。しかも花が咲いた1年後には新たな 種子を実らせたという。日本で公共工事の際に、偶然出土した1400 年前の蓮の種子が自然発芽した話は聞いたことがあったが、3万年前とは驚きだった。地中深く眠っていた種が悠久の時を経て開花するという事実に妙な興奮を覚えた。そして3万年前について調べてみると、人類最古の絵画であるショーヴェの洞窟壁画が描かれた頃であることが分かった。人間は日々狩猟に明け暮れ、畏怖に満ちた自然と交感しながら野生に生きていただろう。もしかしたらその頃の感覚が自分の中に潜在していて、脳の一部分でも刺激したらシベリアの種子のように3万年ぶりに目覚めるのではないかという妄想に繋がっていった。
自分が都市に住む一人の人間である前に、自然界に存在する小さな一生命体であるという当たり前のことを実感したことがあった。その経験を機に人間の中に潜在的に存在する動物的感覚や原初的な感覚、またはそれを通して得られるものをイメージし作品化している。現代生活に慣らされてしまったために表に出てくる術を失い、奥深くにうずくまっている人間が野生を生きていた頃の感覚、過去を受け継いでいる感覚といえるだろうか。それは、せわしく過ぎていく情報過多の現代生活の中では退化しているかもしれないが、今だからこそ人間が人間という生き物(動物)らしくあるために必要な ものに思えてくるのだ。
以前は細胞を想起させる様な有機的な抽象形態を描くことが多かったが、最近は段々と風景や動物等の具象形態が要素として加わってきた。これはアニミズムや土着信仰、先住民の神話や自然崇拝への興味が増し、作品に強く影響してきた表れだといえる。今後まず住む場所を思い切って変えようと思っている。自分が一生命体であるということをより実感できる場で潜在する感覚を発芽させるべく制作したいと考えている。

Latent Senses

When I was reading a magazine, a certain article caught my eyes. It was on a success story of a Russian research team in putting forth buds from a seed which was 30000 years old found in Siberia. The team even succeeded in producing new seeds after full bloom. Even though we have heard about stories of sprouting out lotus seeds 1400 years old, sprouting out of seeds 30000 years old was a big surprise. 
The fact that a seed which had been sleeping underground for such a long time would actually bloom was truly exciting. 30000 years ago should be about the time when the Chauvet cave painting, which is known as the oldest painting by human being, was produced. Human beings those days spent hours hunting and must have lived their daily lives with a strong sense of collaboration with and respect for nature.
This led to my imagination that if humans today still possessed such a sense deep in their minds, it might be possible to awaken their old inherent sense by somehow providing outside stimulus, just like the Russian team did to the old seeds. 
At one time in the past, I realized the obvious truth that before being a human being living in today’s civilized world, we are just one of the living creatures existing in this natural universe. With such a realization, I started to create my artworks by utilizing and expressing the inherent, primitive and instinctive sense which we human beings all possess deep in our heart. 
After getting too much accustomed to the hasty and civilized daily life, many of us might have either lost or do not know how to express this sense, which was the sense we had when we were living in the nature and which had been inherited from the past. 
Although this sense may have degenerated through the hasty information-abundant daily life, it is my firm belief that we need to try to re-realize this sense especially in today’s world because it seems to be an absolutely indispensable element for the humans if we are to live naturally as a member or this natural universe.

「魔法のことば」 金関寿夫『アメリカ・インディアンの口承詩』  ------------------------------------------------------------

ずっと、ずっと大昔

人と動物がともにこの世に住んでいたとき

なりたいと思えば人が動物になれたし

動物が人にもなれた。

だから時には人だったり、時には動物だったり、

互に区別はなかったのだ。

そしてみんながおなじことばをしゃべっていた。

その時ことばは、みな魔法のことばで、

人の頭は、不思議な力をもっていた。

ぐうぜん口について出たことばが

不思議な結果をおこすことがあった。

ことばは急に生命をもちだし

人が望んだことがほんとにおこった---

したいことを、ただ口に出して言えばよかった。

なぜそんなことができたのか

だれにも説明できなかった。

世界はただ、そういうふうになっていたのだ。

 

 

 

 

個展「深い水脈をさがすように」にむけて ------------------------------------------------------------------------------------

​いつだったか、ただただぼんやりと夜空を見上げ月を眺めていた時のこと。小刻みに進む秒針のような時の流れが少しずつ緩やかなものに変化していく。ゆっくりと様々なイメージが膨らんでいく中で、自然界に存在する微小な生き物としての自分を確認したことがあった。近くで鳴いている虫や足元の植物と同列に存在する動物で、自然に属している、という妙にリアルな感覚がふっと入ってきた。理屈では分っていたことだが、それは妙に実感めいていて安堵感のようなものだった。

​その頃からか、人間の中にある動物的感覚というものに興味を持つようになった。現代生活に慣らされてしまったために表に出てくる術を失い、奥深くにうずくまっている野生を生きていた頃の感覚、言い換えれば人間に進化してきた過去を受け継いでいるはずの感覚と言えるだろうか。それは、せわしく過ぎていく情報過多の現代生活の中では退化しているかもしれないが、今だからこそ人間が人間という生き物(動物)らしくあるために必要なものに思えてくる。

​人間の中に潜在するそういった感覚、またはその感覚を通して得られるものをイメージし、形にしてきたのがパラフィンワックスを用いた平面作品のシリーズだ。今回の展示ではその延長となる作品を発表する。近年インスピレーションを受けているアニミズムや先住民文化・哲学の影響も作品に変化を加えてきている。

最近、制作中にふと思ったことがある。それは自分にとっての制作とは地中深くにある水脈を探す行為に似ているな、ということ。人間を大地、動物的感覚を水脈に置き換えてイメージすると妙にしっくりくるところがあった。奥深くに流れているだろうその存在を探すような、そしてその水を掬い上げるような制作という行為に強く惹かれている。​​​

 

神話学者ジョセフ・キャンベルの言葉 --------------------------------------------------------------------------------------

写真家の星野道夫著の本で出会って以来、いつも頭の片隅にある。

「私たちには、時間という壁が消えて奇跡が現れる神聖な場所が必要だ。 今朝の新聞になにが載っていたか、友達はだれなのか、だれに借りがあり、だれに貸しがあるのか、そんなことを一切忘れるような空間、ないしは一日のうちのひとときがなくてはならない。 本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことのできる場所だ。 これは創造的な孵化場だ。はじめは何も起こりそうにもないが、もし自分の聖なる場所をもっていてそれを使うなら、いつか何かが起こるだろう。 人は聖地を創り出すことによって、動植物を神話化することによって、その土地を自分のものにする。 つまり、自分の住んでいる土地を霊的な意味の深い場所に変えるのだ。」

OGAWA YASUO

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